フクシマ:おずおずと明かされる事故の帰結

LEMONDE pour Le Monde.fr | 20.05.11 | 15h42
ルモンド 2011年5月20日15時42分公開


東京より特派員―フクシマの原子力事故について、日本人に与えられる情報が変化を見せている。3月11日の地震津波のあと、原発の6つの原子炉のうちの4つで起こった事故について、二ヶ月にわたって、ありうる危険を最小限に見積もり、事態の深刻さについての質問を避けつづけてきたあげく、政府と東京電力、さらには日本の強力な原子力村に加わっていた研究者たちまでもが、多少なりともはっきりと物を言うようになってきたのである。

この変化を示す顕著な、とはいっても実に控えめな証拠は、枝野幸男官房長官が、5月24日から6月2日まで日本を訪問する国際原子力委員会IAEA)の調査チームについて、「最大限の情報の透明性を確保すべくつとめる」と約束したことだ(注)。この告白は、これまで政府がとってきた政策について多くを語っている。
注:枝野官房長官の会見全文〈17日午後〉には「我が国としては、この事故について国際社会に対し最大限の透明性を確保すべく努めてきているが、この調査団の受け入れはその一環として、我が国の経験の各国との共有のためにも有意義なものとなると考えている」とある。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201105170604.html


同様に、5月16日に東京電力によって公開された資料は、東北地方をマグニチュード9の地震が襲った直後の原発の混乱ぶりを明かしている。これらの報告では、これまで東京電力と「公認」の専門家たちの大部分が言い、また日本のマスメディアが言ってきたのとは反対に、原子力事故は、すでに津波の到達する前から始まっていたことが浮き彫りにされている(注)。それは、世界でも最も厳しいとされる基準に基づいて建設された原発の設備も、地震には抗えなかったということを明かしている。津波はこの状況を悪化させたに過ぎなかったのである。
注:経済産業省に提出された「東北地方太平洋沖地震発生以降の当社福島第一原子力発電所内外の電気設備の被害状況、外部電源の復旧状況等に係る記録に関する報告書」をさすか。
http://www.tepco.co.jp/cc/press/11051605-j.html


とどまりつづける危険性同様に、原子炉の圧力容器は無傷であり、燃料は部分的な溶解にとどまるとしてきた東京電力の発表も誤りであり、現実にはほど遠いものであった。とりわけ、5月20日(金)に東日本を襲ったようなマグニチュード5.8とか4.6の強い余震が、原発周辺地域で続いている以上、状況は予断を許さず、危険性はとどまりつづけているのだ。これらの新事実はまた、4月17日に発表され・5月17日に再確認された、原発を今後6ヶ月から9ヶ月で統御するという東京電力の約束を、疑わせるに足るものである。


しかし今日、もっとも日本人の不安の的となっているのは、放射能汚染の程度についての情報である。文部科学省は、日本のすべての都道府県の計測値を毎日更新している。
参考:文部科学省都道府県別環境放射能水準調査結果」
http://www.mext.go.jp/a_menu/saigaijohou/syousai/1303723.htm


ウラン濃縮還元の専門家である武田邦彦教授はじめ、複数の研究者たちがこの計測のやりかたを批判している。武田教授が問題にするのはとりわけ、この計測が地上18mの高度で行なわれていることだ。住民が実際に曝される放射能の程度を知るためには、計測は地表の水準で行なわれるべきだ、と彼は言う。しかしこの水準では、計測値はおそらくずっと高くなってしまうのだ。


汚染地域のひろがりもう一つの批判は、食料品の放射能汚染への対応に向けられている。牛乳や葉野菜(ホウレンソウ、パセリなど)で高い放射線が検出されたにもかかわらず、販売は全面的に禁止されてはいない。
参考:厚生労働省放射能汚染された食品の取り扱いについて」
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001558e.html


他方、日本政府は4月に一度と、5月17日にもう一度、総計二度にわたって汚染地域の地図を公開した。もっとも被害の大きい区域は原発から北東に40 kmの地点まで広がっており、この区域の8万人の住民は5月末までに避難しなければならない。ところが、政府はこの区域の住民に対して(注)、許容される放射線被曝の上限を年間20ミリシーベルトに引き上げたのである。この決定に反対して、放射性安全学の専門家である東京大学教授の小佐古敏荘は、4月29日、政府参与の職を辞すにいたった。
注:文部科学省が、児童・生徒の屋外活動を制限する放射線被曝の上限を年間20ミリシーベルトに定めたのは、周知のとおり、避難区域の外を対象とした処置だった。


原発労働者でさえ、年間20ミリシーベルト放射線に曝されることはまれです。学者として、また人間として、私は子供たちがそんな被曝をうけることを受け入れることはできない」と、小佐古氏は辞任後の記者会見の席で涙ながらに訴えた。彼はまた、放射能影響予測システムSPEEDIを作動させるのにも、その後収集された情報を公開するのにも、政府が手間取ったことを批判した。「政府は法を無視して、場当たり的な対処をした結果、事態を迅速に収拾するのに失敗したのです。」


主張のうつろい小佐古氏の不満は、なんとも居心地の悪い事態をあからさまに示している。小佐古氏自身はかねてから熱烈な原子力擁護派で、とりわけ地震学者の石橋克彦に批判を加えた人間の一人だったのである。この石橋教授は、以前から日本の原発地震に対して脆いことに警鐘を鳴らしてきた、ごく稀な人物である。1997年に「原発震災」―強い地震によって起こる原発事故―という概念を提唱した彼は、決定権を握った一部の人々が、無謀にも、地震学的に言ってきわめて危険な地帯に原子力発電所を建設しようとするのを、これまでつねに批判してきた。彼の観点からすれば、原発など日本のどこにも建てられるわけがないのだ。


主張を変えたのは、小佐古敏荘だけではない。原子力安全委員会委員長の班目春樹もまた、原子力の強力な推進者で、石橋教授の立場に対してはきわめて批判的だったが、4月1日、15人の原子力推進派の専門家たちとともに、福島原発の事故の危険を認めたのである(注)。
注:原子力推進派の学者たちが3月30日づけで出した「福島原発事故についての緊急建言」には、班目春樹原子力安全委員長は参加していない。
http://peacephilosophy.blogspot.com/p/blog-page_31.html

同様に、5月20日、彼が長を務める委員会は、記者会見を開いて、年間20ミリシーベルトへの被曝許容値の引き上げが巻き起こした「誤解」について釈明し、「被曝許容量は上限のところで定めるべきだった」としながら、「政府の情報を、年間20ミリシーベルトの被曝をしてもかまわないという意味にとる人々があった」のは遺憾であると発表している。

Philippe Mesmerフィリップ・メスメール


(trad. KO)

参考:武田邦彦ホームページ
http://takedanet.com/
20ミリシーベルト、「撤回を」=子ども被ばく量、文科省前で訴え(5月23日)http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011052300803
校庭線量上限、撤回を 「20ミリシーベルト高い」福島の保護者直談判(5月24日)http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011052402000030.html
子どもの被曝量、年間1ミリシーベルト以下目標 文科省(5月27日)http://www.asahi.com/national/update/0528/TKY201105270708.html
「1ミリシーベルト以下」目標に困惑 取手・守谷の学校(5月29日)http://mytown.asahi.com/areanews/ibaraki/TKY201105280484.html


6.11 脱原発100万人アクション!6月11日は、福島原発震災から3ヶ月。
今なお放射能の放出は続いています。私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。全国各地域の人々とともに、6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。6月11日は、声をあげましょう!今こそ脱原発へ!!  http://nonukes.jp/wordpress/
黙ってられない!声を上げよう!!

5・29講演・討論会 『世界の原発廃棄に向けて』

日時 : 2011年5月29日(日) PM 1時〜5時
場所 : 明治大学リバティタワー6階 1063教室 資料代 : 500円
<講 演>宮台真司社会学者) 「震災後の社会 −市場と国家への依存から共同体自治へ−」
河宮信郎(日本エントロピー学会) 「福島原発崩壊の歴史的背景一日本の原子力政策−」原田裕史(たんぽぽ舎) 「福島原発の現状と反原発運動の全国的展開」市田良彦神戸大学) 「脱原発の国際共同行動をめざして」

共催 : たんぽぽ舎、9条改憲阻止の会、ルネサンス研究所
賛同 : アジア太平洋資料センター(PARC)
賛同人 : 淵上太郎(9条改憲阻止の会)・内田聖子(PARC)・丸山茂樹(参加型システム研究所)・下山 保(元パルシステム理事長)・矢部史郎(アクティビスト)・川音 勉(沖縄文化講座)・成島忠雄(浜岡原発サヨナラ静岡義人同盟)・安部 誠(東京管理職ユニオン)・恵 浩司(変革のアソシエ)・菅 孝行(評論家)・足立正生(映画監督)・鵜飼哲一橋大学)・高橋順一早稲田大学)・市田良彦神戸大学)・小島四郎(リプレーザ編集長)・川上 徹(同時代社)・大下敦史(情況出版)・松田健二(社会評論社)・由井 格(社会運動研究会)

<問い合わせ先>
たんぽぽ舎(Tel.03-3238-9035 mail :nonukes@tanpoposya.net)
9条改憲阻止の会(Tel.03-3356-9932 mail : kyujokaikensoshi@utopia.ocn.ne.jp)
ルネサンス研究所(事務局:松田建二 Tel.090-4592-2845 mail :matsuda@syahyo.com)


6.11 脱原発100万人アクション!6月11日は、福島原発震災から3ヶ月。
今なお放射能の放出は続いています。私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。全国各地域の人々とともに、6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。6月11日は、声をあげましょう!今こそ脱原発へ!!  http://nonukes.jp/wordpress/
黙ってられない!声を上げよう!!

日本における放射線リスク最小化のための提言

http://www.strahlentelex.de/Folgen_von_Fukushima.htm
(ページ中頃のGesundheitsfolgenの右側にPDFファイルがあります)


Gesellschaft für Strahlenschutz e.V.ドイツ放射線防護協会                

2011年3月20日


 ドイツ放射線防護協会と情報サービス放射線テレックスは、福島原発事故の発生後の日本において、放射線核種[いわゆる放射性物質:訳者注]を含む食物の摂取による被ばくの危険性を最小限に抑えるため、チェルノブイリ原発事故の経験をもとに下記の考察・算定を行い、以下の提言を行う。

1.放射性ヨウ素が現在多く検出されているため、日本国内に居住する者は当面、*汚染の可能性のある*サラダ菜、葉物野菜、薬草・山菜類の摂取は断念することが推奨される。

2.評価の根拠に不確実性があるため、乳児、子ども、青少年に対しては、1kgあたり4ベクレル〔以下 Bq:訳者注〕以上のセシウム137を含む飲食物を与えないよう推奨されるべきである。成人は、1kgあたり8Bq以上のセシウム137を含む飲食物を摂取しないことが推奨される。

3.日本での飲食物の管理および測定結果の公開のためには、市民団体および基金は、独立した放射線測定所を設けることが有益である。ヨーロッパでは、日本におけるそのようなイニシアチブをどのように支援できるか、検討すべきであろう。


考察と算定

 以下の算定は、現行のドイツ放射線防護令の規定に基づいている。

 飲食物を通じた放射性物質の摂取は、原子力災害後、長期間にわたり、身体にもっとも深刻な影響を与え続ける経路となる。日本では、ほうれん草1kgあたり54,000Bqのヨウ素131が検出されたが、こうしたほうれん草を100g(0.1 kg)摂取しただけで、甲状腺の器官線量は次のとおりとなる(注1)。

乳児(1歳未満):甲状腺線量20ミリシーベルト〔以下 mSv:訳者注〕(注2)
幼児(1〜2歳未満):甲状腺線量19.4mSv(注3)
子ども(2〜7歳未満):甲状腺線量11.3mSv(注4)
子ども(7〜12歳未満):甲状腺線量5.4mSv(注5)
青少年(12〜17歳未満):甲状腺線量3.7mSv(注6)
大人(17歳以上):甲状腺線量2.3mSv(注7)

 2001年のドイツ放射線防護令第47条によれば、原子力発電所通常稼働時の甲状腺器官線量の限界値は年間0.9mSVであるが、上に述べたような日本のほうれん草をわずか100g摂取するだけで、すでに何倍もこの限界値を超えることになる。原発事故の場合には、同第49条によれば、甲状腺線量は150mSvまで許容されるが、これはいわゆる実効線量7.5mSvに相当する(注8)。

 それゆえ日本国内居住者は、当面、*汚染の可能性のある*サラダ菜、葉物野菜、薬草・山菜類の摂取を断念することが推奨される。

 ヨウ素131の半減期は8.06日である。したがって、福島原発の燃焼と放射性物質の環境への放出が止まった後も、ヨウ素131が当初の量の1%以下にまで低減するにはあと7半減期、つまり2ヶ月弱かかることになる。54,000Bqのヨウ素131は、2ヵ月弱後なお約422Bq残存しており、およそ16半減期、つまり4.3ヶ月(129日)後に,ようやく1Bq以下にまで低減する。


長期間残存する放射性核種 長期的に特に注意を要するのは、セシウム134(半減期2.06年)、セシウム137(半減期30.2年)、ストロンチウム90(半減期28.9年)、プルトニウム239(半減期2万4,400年)といった、長期間残存する放射性物質である。
 通常、2年間の燃焼期間の後、長期間残存する放射性物質の燃料棒内の割合は、
 セシウム137:セシウム134:ストロンチウム90:プルトニウム239=100:25:75:0.5
である。
 しかしチェルノブイリの放射性降下物では、セシウム137の割合がセシウム134の2倍にのぼるのが特徴的であった。これまでに公表された日本の測定結果によれば、放射性降下物中のセシウム137とセシウム134の割合は、現在ほぼ同程度である。ストロンチウム90およびプルトニウム239の含有量はまだ不明であり、十分な測定結果はそれほど早く入手できないと思われる。福島第一原発の混合酸化物(MOX)燃料は、より多くのプルトニウムを含んでいるが、おそらくそのすべてが放出されるわけではないだろう。ストロンチウムは、過去の原発事故においては、放射性降下物とともに比較的早く地表に達し、そのため事故のおきた施設から離れるにつれて、たいていの場合濃度が低下した。したがって、今回の日本のケースに関する以下の計算では、
セシウム137:セシウム134:ストロンチウム90:プルトニウム239の割合は、 100:100:50:0.5
としている。
 したがって、2001年版ドイツ放射線防護令の付属文書?表1にもとづく平均的な摂取比率として、1kgにつき同量それぞれ100Bqのセシウム137(Cs-137)とセシウム134(Cs-134)、およびそれぞれ50Bqのストロンチウム90(Sr-90)と0.5Bqのプルトニウム239(Pu-239)に汚染された飲食物を摂取した場合、以下のような年間実効線量となる――

乳児(1歳未満):実効線量6mSv/年(注9)
幼児(1〜2歳未満):実効線量2.8mSv/年(注10)
子ども(2〜7歳未満):実効線量2.6mSv/年(注11)
子ども(7〜12歳未満):実効線量3.6mSv/年(注12)
青少年(12〜17歳未満):実効線量5.3mSv/年(注13)
成人(17歳以上):実効線量3.9mSv/年(注14)

 現行のドイツ放射線防護令第47条によれば、原子力発電所の通常稼働時の空気あるいは水の排出による住民1人あたりの被ばく線量の限界値は年間0.3mSvである。この限界値は、1kgあたり100Bqのセシウム137を含む固形食物および飲料を摂取するだけですでに超過するため、年間0.3mSvの限界値以内にするためには、次の量まで減らさなければならない。

乳児(1歳未満):セシウム137 5.0Bq/kg
幼児(1〜2歳未満):セシウム137 10.7Bq/kg
子ども(2〜7歳未満):セシウム137 11.5Bq/kg
子ども(7〜12歳未満):セシウム137 8.3Bq/kg
青少年(12〜17歳未満):セシウム137 5.7Bq/kg
成人(17歳以上):セシウム137 7.7Bq/kg

 評価の根拠に不確実性があるため、乳児、子ども、青少年に対しては、1kgあたり4Bq以上の基準核種セシウム137を含む飲食物を与えないよう推奨されるべきである。
成人は、1kgあたり8Bq以上の基準核種セシウム137を含む飲食物を摂取しないことが推奨される。

 国際放射線防護委員会(ICRP)は、そのような被ばくを年間0.3mSv受けた場合、後年、10万人につき1〜2人が毎年がんで死亡すると算出している。しかし、広島と長崎のデータを独自に解析した結果によれば(注15)、その10倍以上、すなわち0.3mSvの被ばくを受けた10万人のうち、およそ15人が毎年がんで死亡する可能性がある。被ばくの程度が高いほど、それに応じてがんによる死亡率は高くなる。


(注)
注1 摂取量(kg)x放射能濃度(Bq/kg)x線量係数(Sv/Bq)(2001年7月23日のドイツ連邦環境省によるSV/Bqの確定値に基づく)=被ばく線量(Sv)。1Sv=1,000mSv。たとえば E-6とは、正しい数学的表記である10-6(0.000001)の、ドイツ放射線防護令で用いられている行政上の表記である。
注2 0.1 kg x 54,000 Bq/kg x 3.7E-6 Sv/Bq = 20mSv
注3 0.1 kg x 54,000 Bq/kg x 3.6E-6 Sv/Bq = 19.4mSv
注4 0.1 kg x 54,000 Bq/kg x 2.1E-6 Sv/Bq = 11.3mSv
注5 0.1 kg x 54,000 Bq/kg x 1.0E-6 Sv/Bq = 5.4mSv
注6 0.1 kg x 54,000 Bq/kg x 6.8E-7 Sv/Bq = 3.7mSv
注7 0.1 kg x 54,000 Bq/kg x 4.3E-7 Sv/Bq = 2.3mSv
注8 ドイツの放射線防護令の付属文書VIのC部2によれば、甲状腺は重要度わずか5%とされている。甲状腺の重要度がこのように低く評価されているのは、甲状腺がんは非常に手術しやすいという理由によるものである。
注9 325.5 kg/年 x [100 Bq/kg x (2.1E-8 Sv/Bq Cs-137 + 2.6E-8 Sv/Bq Cs-134) + 50 Bq/kg x 2.3E-7 Sv/Bq Sr-90 + 0.5 Bq/kg x 4.2E-6 Sv/Bq Pu-239] = 6mSv/年
注10 414 kg/年 x [100 Bq/kg x (1.2E-8 Sv/Bq Cs-137 + 1.6E-8 Sv/Bq Cs-134) + 50 Bq/kg x 7.3E-8 Sv/Bq Sr-90 + 0.5 Bq/kg x 4.2E-7 Sv/Bq Pu-239] = 2.8mSv/年
注11 540 kg/年 x [100 Bq/kg x (9.6E-9 Sv/Bq Cs-137 + 1.3E-8 Sv/Bq Cs-134) + 50 Bq/kg x 4.7E-8 Sv/Bq Sr-90 + 0.5 Bq/kg x 3.3E-7 Sv/Bq Pu-239] = 2.6mSv/年
注12 648.5 kg/年 x [100 Bq/kg x (1.0E-8 Sv/Bq Cs-137 + 1.4E-8 Sv/Bq Cs-134) + 50 Bq/kg x 6.0E-8 Sv/Bq Sr-90 + 0.5 Bq/kg x 2.7E-7 Sv/Bq Pu-239] = 3.6mSV/年
注13 726 kg/年 x [100 Bq/kg x (1.3E-8 Sv/Bq Cs-137 + 1.9E-8 Sv/Bq Cs-134) + 50 Bq/kg x 8.0E-8 Sv/Bq Sr-90 + 0.5 Bq/kg x 2.4E-7 Sv/Bq Pu-239] = 5.3mSv/年
注14 830.5 kg/年 x [100 Bq/kg x (1.3E-8 Sv/Bq Cs-137 + 1.9E-8 Sv/Bq Cs-134) + 50 Bq/kg x 2.8E-8 Sv/Bq Sr-90 + 0.5 Bq/kg x 2.5E-7 Sv/Bq Pu-239] = 3.9mSv/年
注15 Nussbaum, Belsey, Köhnlein 1990; 1990年10月4日付Strahlentelex 90-91を参照。



[付記:チェルノブイリ原発事故後の経験に基づいてなされた本提言の厳しい内容と比べると、日本政府によって出されて来ている様々な指針・見解は、いかに放射線リスクを過小評価したものかが際立ちます。本提言は、3月20日の時点で出されたものであり、また、日本での地域的な違いが考慮されていないなどの制約があるかと思いますが、内部被曝を含めた放射線リスクの見直しの一助となることを心より願います。なお、「* *」部分は、原文の意図を表現するため、ドイツ側関係者の了承のもと訳者が追加したものです。
 この日本語訳は、呼びかけに直ちに応じてくださった以下の方々のご協力で完成したものです。心よりお礼申し上げます。ただし、翻訳の最終的責任は松井(英)と嘉指にあります。
 (敬称略・順不同)内橋華英、斎藤めいこ、佐藤温子、高雄綾子、中山智香子、本田宏、松井伸、山本堪、brucaniro、他二名。

            松井英介(岐阜環境医学研究所所長)
            嘉指信雄(NO DUヒロシマ・プロジェクト代表)]



参考:ドイツ放射線防護委員会
http://www.gfstrahlenschutz.de/en/index.html

日本の原子炉の欠陥はアメリカに警告している


http://www.nytimes.com/2011/05/18/world/asia/18japan.html?_r=2&src=tptw&pagewanted=all


The New York Times, May 17, 2011 ニューヨーク・タイムズ 2011年5月17日


ヒロコ・タブチ、キース・ブラッドシャー、マシュー・L・ワルド


東京――アメリカの当局者は、非常用ベントによって合州国原子力発電所は壊滅的な水素爆発を防げると言ってきたが、日本で試みられたそのベントは機能しなかった――専門家たち、そして機能不全に陥った福島第一発電所を操業する電力会社の担当者たちはそう言っている。

このベントの失敗は、合州国と日本における同種の原子力発電所の安全性を疑問に付すものだ。日本の原子力安全・保安院によれば、福島第一原子力発電所でベントが失敗したあと、水素ガスが爆発し、大気中に撒き散らされた放射性物質チェルノブイリにおける概算放出量の10パーセントに達した。

発電所の命運を握る冷却システムを3月11日の津波が襲ったあと、いくつかの原子炉の内部で高まっていた圧力を軽減するために、ベントは決定的に重要だった。冷却用の循環水がなくなってから、原子炉の炉心は危険な水準まで過熱しはじめていたのである。

アメリカの当局者は、合州国の原子炉はより強力で新しいベントシステムを備えているので、こうした惨事の危険はないとしてきた。しかし、福島第一原発を操業している東京電力によれば、同発電所合州国のものと同じベントシステムを数年前に設置していたという。

また、何人かの日本政府高官によると、件の爆発の主要な原因のひとつは、東京電力の経営陣が、相当量の放射性物質を空気中に放出するという非常手段に訴えるかどうかを躊躇したために、ベントを用いる決定が数時間遅れてしまったことにあるという。

だが、東京電力が今週公開した資料や専門家のインタビューは、ベントシステムの機械の故障と設計上の欠陥もベントの遅れの一因だったという、さらに重大な事実を疑いえないものとしている。これらの資料は、事故発生後の最初の数時間のあいだに、ようやくベントに向けて動き出した作業員たちが、システムが思うように動かないことを知った際に、原発内でどれほど絶望感が高まったかをまざまざと描き出している。

ベントはたしかになにがしかの放射性物質を放出することにはなっただろう。しかし専門家の分析によれば、この放出は、それに続く原発の三つの原子炉における爆発よりも、はるかに規模の小さな放出で済んだはずだ。これらの爆発は、破局を防ぐための最前線に位置づけられる格納建屋を吹き飛ばしてしまったからである。また、これらの爆発は格納容器に亀裂を生じさせ、燃料棒を冷却したり、原発敷地内からの放射性物質の漏洩を抑えたりするための努力を困難にしてしまったと思われる。

ゼネラル・エレクトリック社(GE)によって建設された原発のベントシステムが作動しなかったひとつの理由は、この設備が原発の他の部分と同じ電源に依存していたことにある。発電所の基礎部分に設置された、この予備発電機は津波を前にしてひとたまりもなかった。しかし、東京電力の担当者によれば、地震によってベントシステムのバルブが損傷を受けたために、オペレーターが手動で開けようとしてもこのバルブが動かなくなっていたらしい。

いずれにせよ、GE社の設計した同種の原発の設備が、深刻な事故の際にも機能するようにしておくためには、合州国と日本の原子力規制当局は早急に、費用も時間もかかる改修や再設計の必要性を決定しなくてはならないだろう。

「日本は私たちに教訓を与えてくれています」と〈憂慮する科学者たちの同盟〉(UCS)のデイヴィッド・ロックバウムは言う。「もし、ベントをしたくてもできないような状況が生じるのなら、私たちはそれを解決しなければなりません」。

GE社側からは、木曜日の時点でコメントは出ていない。

福島原発の危機の深刻さは、地震および発電所の防潮壁を急襲した津波の数時間後には明らかになっていた。

地震のちょうど12時間後には、一号機内部の圧力は、設計上、設備が耐えることのできる最大圧力のおよそ2倍に達していた。こうして、燃料棒を入れた格納容器が破裂し、メルトダウンが始まるかもしれないという懸念が高まることになった。内部圧力が高まった結果、さらに冷却水を注入するということもできなくなっていた。

日本政府は慌てて、東京電力にベントの開始を命じた。しかし、ことここにいたっても、東京電力の経営陣は議論を続けるばかりだったと、原子炉を制御するための日本政府の努力をよく知る人物は述べている。この人物によれば、東京電力原子力担当役員である武藤栄副社長と、事故を起こした福島第一原発吉田昌郎所長は、白熱した議論のはてに「怒鳴りあい」を始めたという。なにごとにつけ控えめな日本では、めったに見られない光景である。

吉田氏が早急なベントの実行を望んだのに対し、武藤氏はベントが機能するかどうかについて懐疑的だった、と同じ人物は語っている。この人物はいまも政府の顧問を務めており、公的にコメントをすることは許されていないので、匿名を望んでいる。「なにをなすべきかについて、逡巡があり、議論があり、そして著しい混乱がありました」と彼は言う。

東京電力の経営陣がベント開始の指示を出したのは、ようやく土曜日になって、つまり津波の襲来から17時間以上、政府のベント開始命令から6時間が経ってからのことだったのである。

こうして大急ぎで新たな指示に従った作業員たちは、そこで続出する問題に直面することになった。

ベントシステムは制御室から操作できるよう設計されているのだが、オペレーターが装置を起動しようとしてもうまく行かなかった。それはおそらく、非常用バルブを開けるための電源が落ちていたせいだ。バルブは手動でも開けられるように設計されているが、東京電力の記録によれば、もはやその時には、一号機のベントシステム付近の放射能のレベルは、作業員たちにとって接近できないほど高くなっていたのだ。

二号機では、作業員たちが安全バルブを手動で開けようとしたが、原子炉内の圧力は下がらず、ベントが成功したかどうか分からなかった、と記録は示している。三号機では、七回にわたって作業員たちがバルブを開けようと試みたが無駄だったという。

ベント失敗の結果は壊滅的だった。

地震の翌日の土曜日、一号機が最初に爆発した。月曜日には三号機がそれに続き、火曜の早朝には二号機が爆発した。

爆発のたびに、放射性物質が大気中にあふれだし、震災を生き延びた数万人の周辺住民の避難を余儀なくし、農作物を汚染し、そして数日のうちには、放射性同位体の煙はわずかながら合州国にまで達することになった。原子炉建屋の航空写真は、一号機と三号機の建屋が粉々に吹き飛ばされ、もうひとつの建屋も深刻な損傷を受けたことを示している。

トラブルが重なるとともに、東京電力と日本政府の高官は一連の記者会見で、損傷の規模を示唆するようになった。それによると、これらの爆発はおそらく、メルトダウン放射性物質の大量放出を防ぐ最後の砦である格納容器に亀裂を生じさせたとみられる。

東京電力は最近になって、原発の損傷はこれまで考えられていたよりも深刻で、燃料棒は一号機、二号機、三号機で、事故の最初の数時間のあいだに完全に溶解したのがほぼ確実であること、その結果、いっそう破滅的な放射性物質の放出の危険が増大したことを認めるにいたった。東京電力はまた、一号機においては最後の砦である圧力容器が破壊され、放射能汚染水が漏出しているのが、この新事実によって裏づけられるようにも思われる、とも述べた。

福島第一原子力発電所の改良版ベントシステムは、もとをたどれば1980年代後半の合州国で、マークI型格納容器システムに基づく沸騰水型原子炉の「安全強化プログラム」の一環として採用されたものだ。このマークI型格納容器システムは、GE社によって1960年代に設計されている。東京電力は、1998年から2001年にかけて、このベントシステムを福島第一原発に導入していた。この原発では、6つの原子炉のうち5つでマークI型が用いられている。

同社は今週になって、このシステムが設置されたことを示す2002年作成の日本の規制関連の資料を再検討したうえで、以上の事実を確認している。

このベントシステムは、それまでのシステムが非常時に原子炉内で高じた圧力に持ちこたえられないのではないか、という懸念に基づいて強化されたものだった。それまでのシステムでは、圧力が温度とともに上昇すると、炉心の燃料棒を覆うジルコニウム被覆管が損傷し、水と化学反応を起こして、ジルコニウム酸化物と水素ガスが生みだされる可能性がある、と考えられたからである。

新たなシステムは、原子炉を収めている格納容器から、フィルターやガス処理システムを介さずに、水蒸気とガスを直接排出するものだ。通常はこのフィルターや処理システムが、ガスの放出を減速させ、ほとんどの放射性物質を除去することになっている。

しかし、この非常用ベントには多くの安全装置が備えつけられており、そのうちのいくつかは作動のための電気を必要とするので、専門家によれば、原子力発電所の全電源が失われたときには役に立たなくなってしまうのである。

これらの安全装置のなかで最も重要なのがバルブであり、このバルブは制御室内にあって、普段はロックと鍵がかけられているスイッチによって操作される。ベントの作動のためには、このバルブを開けなければならない。制御室の鍵穴に鍵を差しこんで回すと、バルブが開き、ガスが原子炉建屋の外へ排出されるようになっている。

東京電力によれば、福島第一原発では電源喪失後、バルブは作動しなかったという。

このことが合州国と日本における同種の原発の操業者たちに示唆するのは、発電所が立地上、津波や河川の氾濫に襲われうる場合、発電機を上層階に移動させれば、原子炉を守ることが可能だということだろう。

しかし、ベントシステムそのものの再設計もまた不可欠だろう。

このシステムの設計は、合州国原子力担当者たちのあいだの、設計思想上の派閥対立の産物だった。アメリカの複数の原発で操業の管理にかかわった、マイケル・フリードランダーはそう証言している。

フリードランダー氏は、原子力規制委員会(NRC)に言及して次のように述べた。「一方で、NRCには格納容器の隔離こそ重要だと主張する連中がいて、彼らはどんな想定可能な事故のシナリオのもとでも、常に格納容器を閉じたままにしておこうとするのです。他方には、原子炉の安全性を重視する連中もいて、彼らは深刻な事故のシナリオのもとでは格納容器をベントする必要があるといいます。このシステムは、激しい議論を呼んでいるものなのです。」

ヒロコ・タブチ(東京)、キース・ブラッドシャー(香港)、マシュー・L・ワルド(ワシントン)


( trad. YS, TT)


参考:Venting Failure in the Nuclear Reactors at Fukushima Daiichi, The New York Times, May 17, 2011
http://www.nytimes.com/interactive/2011/05/17/world/asia/venting-failure-in-the-nuclear-reactors-at-fukushima-daiichi.html?ref=asia
福島第1原発、事故直後の新事実が明らかに―ウォールストリートジャーナルの分析
http://jp.wsj.com/Japan/node_237921
遅すぎたベント、少なすぎた注水 内部資料が語る東電初動ミス
http://hashigozakura.amplify.com/2011/05/04/%E3%80%90%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%EF%BC%91%E5%8E%9F%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%95%85%E3%80%91%E3%80%80%E9%81%85%E3%81%99%E3%81%8E%E3%81%9F%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%80%81%E5%B0%91%E3%81%AA%E3%81%99/
東京電力、武藤栄副社長の経歴
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1358918013


6.11 脱原発100万人アクション!(全国各地)6月11日は、福島原発震災から3ヶ月。
今なお放射能の放出は続いています。私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。全国各地域の人々とともに、6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。6月11日は、声をあげましょう!今こそ脱原発へ!!  http://nonukes.jp/wordpress/

黙ってられない!声を上げよう!!

フクシマ後の原子力時代――エピローグに向かうのか?

http://www.hnn.us/articles/137623.html


Frank Uekoetter フランク・ユケッター

History News Network 2011年3月16日


 起こった事件に対し「歴史的転換点」というラベルを張るスポーツがこのごろ盛んである。だが、先週末ほど、わたしたちがこの衝動に急速に駆られたことはめったになかった。3月12日の土曜日、つまり壊滅的な地震の翌日に、日本の福島県にある福島第一原子力発電所が東北地方の青い空を爆風で吹き飛ばした。翌週の月曜日、『シュピーゲル』は原子力の死亡記事を掲載した。その表紙には、爆発した原発の写真とともに、「原子力の時代の終わり」を宣言するタイトルが記されていたのである。
 
 いまは、歴史家に見解を求めるときではないようにみえる。この文章を執筆している現在(2011年3月16日)、本当にメルトダウンが起きているのかどうかは明らかではなく、翌日と翌週に何が起こるかを知っている人間は、おそらく誰もいないだろう。いま求められているのは、ホウ素の吸収力について、それから緊急冷却システムをどのように動くのかについて知っている専門家であるように思える。けれども、歴史家がほかの誰よりも的確に答えることのできる問いがひとつある。なぜ、わたしたちは緊急冷却システムを必要とするような原子炉をもっているのか、である。

 緊急冷却システムは、核技術において不可欠な部分である。このシステムは、冷却剤に水を用いる原子炉の特徴であり、とりわけこのタイプの原子炉が世界のスタンダードになっている。核分裂によって電気を生み出すにはさまざまな方法があるし、中性子の減速材[ウラン235核分裂で生じた高速中性子を減速して熱中性子にするため使われる物質]にもいくつかのタイプがある。軽水[ふつうの水のこと]はひとつのオプションにすぎないし、軽水を用いる原子炉もまたそうである。安全性という観点からしても、この選択はおそらくベストではない。

 それでは、なぜ、発電所の技師たちはこのタイプのテクノロジーを選んだのか? この答えのひとつは、この選択が1950年代から60年代にかけてなされたとき、軽水炉の技術がすでに存在していたことにある。アメリカ艦隊のノーチラス号は、世界初の原子力潜水艦であるが、1955年以来水冷式の原子炉を用いて動いていた。この選択には、スペースを節約することを優先させる潜水艦独特の条件が関係していたのである。そして、いずれにしても、戦争に用いる機械が安全を第一におくということは聞いたことがない。

 そして、軽水は、二番目の有利な点を持っていた。技術者たちがこの扱い方を知っていたことである。容易に忘れやすいが、発電所の技師たちは、はじめのうちは、新しいタイプの燃料としての原子力を用いることを疑っていた。第二次世界大戦後、石炭と石油は、見かけは無尽蔵であった。核技術は伝統的な専門家集団に戦いを挑んだのだった。技術者たちは、しかし、蒸気を発生させそれによってタービンを回すというアイディアを知っていた。これが軽水炉に決して失うことのない強みを与えたのである。

 もちろん、この話は、わたしがここで提示するものよりももう少し複雑だった。重要なのは、原子力の異なったアイディアのあいだで公平かつオープンな競争が一度もなされなかったことである。理論的には、同時に別々のアイディアに挑戦し、その最も良い選択に適した基準を定義するのが得策だっただろう。実際の勝者は、最初に勢いを集めたモデルであった。これが軽水炉だったのである。

 チェルノブイリ原発事故のあと、原子核の専門家はすぐに、チェルノブイリの原子炉は、不幸なことに、中性子減速材としてグラファイトを使用するという通常とは異なるタイプの原子炉であったことを指摘した。グラファイトは、事故の最中に燃え始めたのである。このような弁解は、しかし、福島原発の場合にはなされえない。福島原発は、厄介なことに世界で最も普及した原子炉に類似しているからだ。端的にいえば、軽水炉テクノロジーの終焉は、原子力世代の終焉を意味することになる。

 しかし、これは終わりなのだろうか? 原子力の歴史はわたしたちに原子力複合体の巨大な運動量を教えてくれる。原子核の技術者、原子炉、そしてこの関連の研究所は災害が起こっても消えない。それとはまったく逆に、かれらは再び権利を主張しようとするだろう。なぜなら、かれらの未来は原子炉にかかっているからである。軽水炉テクノロジーの運動量は巨大であり、専門家たちは自分たちの縄張りを守るために手加減することはないだろう。チャンスは、いまから数週間後に、「もしもっと準備が周到になされ、技師が正しい判断を下していたならば、すべてがうまくいっただろう」と専門家が説明するときである。だが、これはかれらの王国のなかでは起こりえない。かれらがほかのタイプの原子炉について話すことはありそうもない。
 
 この事故は原子力の時代の終わりになりうる、そして間違いなくそうすべきである。しかし、私はそうなるかどうか疑問に思う。帝国はきっと反撃に出るだろうからだ。


(trad. TF)


注:フランク・ユケッターは、ドイツ連邦共和国ミュンヒェンにあるレイチェル・カーソン・センターの副所長。専門は環境史。主な著作に『The Green and the Brown: A History of Conservation in Nazi Germany』(『褐色と緑:ナチス・ドイツ環境保護の歴史』2006年)、『The Age of Smoke: Environmental Policy in Germany and the United State, 1880-1970』(『煤煙の時代:ドイツのアメリカの環境政策 1880-1970』2009年)など。


6.11 脱原発100万人アクション!(全国各地)6月11日は、福島原発震災から3ヶ月。
今なお放射能の放出は続いています。私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。全国各地域の人々とともに、6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。6月11日は、声をあげましょう!今こそ脱原発へ!!  http://nonukes.jp/wordpress/

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フクシマ:危機ののりこえを疑問に付す新事態


LEMONDE | 15.05.11ルモンド、2011年5月15日


5月14日、福島の原子力事故は最初の犠牲者を生んだ。今のところ死因は明らかではないが、技術者一人の死亡が確認され、原子力発電所における労働条件がどれほど過酷なものであるかがあらためて明らかになったのである。発電所をコントロールしようとする努力の過程で、労働者たちは、3月11日の震災のあと、この危機の最初の数日間に起こった爆発と火災によって引き起こされた損害がどれほど大きなものであったかを発見し、確認することになった。こうして5月12日木曜日には、福島第一原発1号炉の水位計がふたたび稼働されたのをうけて、彼らは核燃料の冷却に必須の水位が、想定されていたよりもずっと低いことを発見したのである。

これまで示唆されるだけで確認されては来なかった、原子炉圧力容器に大きな穴が開いているのではないかという仮説が、ふたたび現実味を帯びている。専門家たちは今日でもなお、多くの不確定要素を孕んだ状況に直面していることを認めている。


放射性物質は圧力容器から漏れ出してしまったのか当初から、東京電力は1号炉、2号炉、3号炉の炉心にある燃料が劣化し、部分的に溶解していることを示唆してきた。いまや東京電力は、1号炉においては、燃料のほとんどがおそらくは溶解してしまっており、炉心を囲う鋼鉄製の圧力容器の底に溜まっていると見なすにいたっている。日本の専門家によれば、この溶解した炉心のうち少量は、核燃料を収める金属製の鞘と溶けあって、コリウムと呼ばれるマグマをなし、核反応をコントロールするために用いられる制御棒を差し込むための結合部分を通して、圧力容器から漏れ出してしまった可能性があるという(まだこの事実は確認されてはいない)。5月12日、東京電力は、コリウムが一つないし複数の穴から圧力容器の底を突き抜けてしまった可能性があることを示唆した。気密性を失った結合部分ないしは穴を通じて核燃料に直接触れたために、きわめて高度の放射能を帯びた水が、漏出しているかもしれないというのである。


環境汚染のリスクはいかなるものか炉心溶解と圧力容器の底抜けが事実とすれば、事故発生後の最初の数時間か最初の数日間に起こった。これらの損害は今日、確認できる状態になっている。というのも、5月5日には、1号炉の建物のなかに労働者が立ち入っているからだ。

東京電力によると、水が残っている原子炉圧力容器の温度は、100度から120度の間で安定しているという。したがって、圧力容器の底に溜まっているコリウムは比較的冷却されており、容器にこれ以上の損害を与える脅威はない。「コリウムが圧力容器に穴をあけてしまったとしても、おそらくコリウムは原子炉の土台をなす7メートルの厚さのコンクリート製の基盤を突き抜けることなく、そこにとどまっていると考えられる」とフランス原子力庁の原子力エネルギー部長クリストフ・べアールは考えている。

したがって、環境汚染のリスクに関しては状況の変化はない。この環境汚染は今日までのところ、おもに原子炉の冷却のために用いられた水の流出によるものである。


危機管理の方針を再考すべきか金曜日、海江田万里経済産業大臣は、6ヶ月から9ヶ月での事態の収拾を目指した東京電力の工程計画は見直されなければならないだろうと述べた。フランスの専門家によれば、たとえ圧力容器からの漏出が起こっているとしても、水を追加することによって、原子炉の冷却回路を再起動することは可能であるという。しかしながら、この手法によれば、また汚染水の排出の問題が生じることになる。「他の解決策を検討する前に、まず現在の状況を正確に把握することが必要です」とべアール氏は強調した。「原子炉にもっと近づくことができなければ、現在のあやふやな状況が続くほかないでしょう」とフランス放射線防護原子力安全研究所(IRSN)のティエリー・シャルルも認めている。シャルル氏によれば、いくつかのデータは矛盾しているという。とりわけ、圧力容器外への核燃料の漏出が示唆されているにもかかわらず、一方では圧力容器内の圧力は大気中の気圧よりも高い値にとどまっているというのが、矛盾の最たるものだ。

他方、東京電力は2号炉と3号炉でも、1号炉と同じような状態になっているのではないかと懸念している。とりわけ懸念が大きいのは3号炉であり、この炉で3月13日に起こった激しい爆発について、複数の日本の専門家たちは、それが本物の核爆発であったのではないかと考えている。5月11日、電力会社側は、この原子炉から放射能汚染された水が漏れ出していること、さらにその一部分は海に流れ出していることを発表した。


Pierre le Hir et Philippe Messmer (à Tokyo)東京より、ピエール・ル・イールとフィリップ・メスメル


(trad. KO)


参考:第1原発収束作業で初の死者 医師診断まで1時間http://www.minyu-net.com/news/news/0515/news3.html
福島原発1号機、格納容器に漏出「打つ手なし」 核燃料100%損傷かー産經新聞http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110513-00000127-san-soci


6.11 脱原発100万人アクション!(全国各地)6月11日は、福島原発震災から3ヶ月。
今なお放射能の放出は続いています。私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。全国各地域の人々とともに、6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。6月11日は、声をあげましょう!今こそ脱原発へ!!  http://nonukes.jp/wordpress/

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日本政府、別の原発でも原子炉停止を要請

http://www.nytimes.com/2011/05/07/world/asia/07japan.html

The New York Times, 2011/05/07ニューヨークタイムズ 2011年5月7日

Hiroko Tabuchiヒロコ・タブチ


東京 金曜日[5月6日]、菅直人首相は、日本の中心部にある浜岡原子力発電所に対し、地震津波に対する予防策を強化するまでの閉鎖[原文ママ]を求めた。反原発運動家たちはかねてから、活断層が走っていることが知られている沿岸地帯に建てられた、この老朽化した原発の閉鎖を求めていた。

浜岡原発は東京から西南120マイル[約200km]にあり、3月11日のマグニチュード9.0の地震津波が東北地方の沿岸部を襲って以来、放射性物質を放出しつづけている、福島第一原発よりも40マイル[約65km]ほど東京に近い。

原発運動家によると、浜岡原発の抱えている問題には、津波に対する不十分な予防策が含まれる。それに対して、操業者[中部電力]によると、津波対策は砂丘の存在によって果たされているという。

この浜岡原発を操業停止すべし、との菅首相の判断は、日本の標準からすれば比較的早く下されたと言える。というのも日本では、政治的なリーダーがこうした政策転換を宣言する際には、前もってコンセンサス作りをすることが一般に好まれるからである。

しかし、菅首相はフクシマの災害処理に対する批判を受けて、すっかり評判を落としていた。その批判のうちには、原発事故勃発当初の政府の緩慢な反応によって、事態はいっそう悪化することになった、とする糾弾も含まれている。

金曜日、菅首相は自らの決断を、「浜岡での大事故が日本全体に及ぼしうる甚大な影響を考慮した結果」であると述べた。

日本政府の専門家は、浜岡周辺の地域で、向こう30年間にマグニチュード8.0規模の地震が起こる可能性は、ほとんど90%近いと予測している。日本では近年、これよりもずっと小規模の地震で、少なくとも一つの原子炉がすでに損傷を受けた。

2009年、浜岡原発の操業者である中部電力は、原発にある原子炉のうち最も古いもの2つを廃炉にすることを決定した。この原子炉をアップグレードし、地震のリスクに備えるのは、あまりにもコストがかかりすぎると判断されたためである。これらの原子炉はいずれも1970年代、福島第一原発の原子炉と同時期に建設されたものだ。

電力会社側は、1980年代に建設されたのこりの3つの原子炉は、大地震にも十分に耐えうるだけの安全性を備えているとしてきた。しかし、福島原発における危機の結果、地震津波が日本で稼働中の50近い原子炉にもたらすリスクに対する懸念が高まっていた。

菅首相は、中部電力が浜岡の原子力発電所を再稼働するにあたっては、十分な安全策の強化が求められることになるだろう、と言明した。電力会社は、その要望にかなった防波壁の建設には、二年ほどかかるとしている。

「なんといっても、国民のみなさまの安全と安心を考えてのことであります」と菅首相は述べた。

電力不足のリスクに対処するために、首相はさらに日本の市民に対して、更なる節電を求めた。

東日本の事務所や工場では、政府が夏場に向けて15%の電力の節減を求めたのに対し、すでに照明を落としたり、操業時間を変更したりすることで対処してきた。浜岡で操業中の3つの原子炉は、総計で3500メガワットの発電能力を有しており、この数値は、日本の原子力発電所の発電能力の7%にあたる。

電力不足のリスクは、この地域の住民のみなさまをはじめとする全国民のみなさまが、よりいっそう省電力、省エネルギーの工夫をしていただけることで、必ず乗り越えていけると、私は確信しております」とも菅首相は述べた。

現在もなお浜岡で稼働中の3つの原子炉のうち、ひとつの原子炉はすでに定期点検のため停止中である。電力会社は金曜日、菅首相の要請に対し「迅速に検討する」と発表している。

グリーンピースを含めた環境団体は、ただちに菅首相の決断を評価するとともに、日本政府に対して、地震のリスクの大きい日本にある、すべての原子炉の停止を考慮するよう求めた。

グリーンピースは、菅首相が日本で最も危険な原子炉のひとつである、浜岡原発に対して停止要請を出したことを歓迎します」と日本におけるこの団体の委員長を務める佐藤潤一は述べた。

「政府は既存の原子力発電所を停止・廃止するとともに、新たな原子炉の建設を白紙に戻すべきです」とも佐藤は述べている。「そうした時に初めて、日本の国民は、政府が国民の安全を第一に考えていると納得することができるはずです。」

しかし、元神戸大学教授で、かねてから日本の原子力発電所の耐震基準の強化を訴えつづけてきた、石橋克彦は、浜岡原発の操業停止だけでは十分ではないと主張している。原子炉は、冷却期間中も地震津波の被害を受けることがありうるし、また原子力発電所に蓄積されている使用済み核燃料も同様であると言うのである。「原子力発電所の安全を守るための手段がただちに講じられなくてはなりません」と石橋は言う。

石橋はまた、政府が、日本にある原子炉に地震がもたらしうるリスクを認めるのにあまりに時間をかけすぎたことを指摘した。石橋氏は、すでに2006年に、当時彼が参加していた政府の委員会で、原子力発電所の耐震基準を強化するように求めていたからである。彼は自身の提言が聞き入れられなかったため、そののち、委員会の職を辞したのだった。

「日本が危険に対する対策をもっと早くとっていれば、フクシマの惨事を防ぐことができたはずです」と石橋は言う。

福島原発では、現場の労働者たちが、損傷した原子炉と核燃料プールをコントロールするための苦闘を続けている。3月11日に津波によってすべての電源が失われ、最重要の冷却機能が機能しなくなった結果、原子炉のうち3つがオーバーヒートし、水素爆発を起こしたのだった。この原発は、東京電力によって操業されている。

東京電力は、この間、福島原発のすべての原子炉を冷却停止と呼ばれる安定した状態にもたらすまでには、さらに最低6ヶ月から9ヶ月が必要であると発表した。

東京電力が操業するもうひとつの原子力発電所、柏崎・刈羽原子力発電所は、日本海岸に面しており、既に2007年のマグニチュード6.6の地震で損傷を受けていた。すぐに消し止められたものの、ひとつの原子炉から火が噴き出したのである。この事故について、東京電力側は、広範な放射性物質の放出は見られなかったと発表している。

柏崎・刈羽原子力発電所は、ほぼ二年間にわたって修理と点検のために停止された。その後、7つある原子炉のうち、4つが再稼働された。


(trad. KO)


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今なお放射能の放出は続いています。私たちは、人や自然を傷つける電気はいりません。全国各地域の人々とともに、6月11日に脱原発を求める100万人アクションを呼びかけます。6月11日は、声をあげましょう!今こそ脱原発へ!!  http://nonukes.jp/wordpress/

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