原発事故の背景になれあい体質(下)

http://www.nytimes.com/2011/04/27/world/asia/27collusion.html

オオニシ・ノリミツ、ケン・ベルソン


(承前)


研究者でも、原子力産業に異議をとなえれば、疎まれることになりかねない。3月11日以後、原子力産業をめぐる馴れ合いが注目を集めるにしたがって、原子力の安全に疑念を表明した研究者たちへの差別が、日本のニュースメディアでも幾度か取り上げられた。


日本の原子力研究は、政府や原子力関連企業の資金によってまかなわれている。批判的な研究者たち、とりわけ京都大学所属の「6人組」は、存分に研究をさせてもらうことができず、数十年の間、助手[助教]のまま冷遇されてきた。


そのうちの一人、小出裕章氏は原子炉の専門家で、京都大学助教のポストから37年も昇進できずにいた。若いころは研究助成金に応募しては失敗していたと、小出氏はいう。「私のようなアウトサイダー助成金は出ないのです」と彼は述べた。


アメリカで原子力産業を規制する中心的機関、原子力規制委員会(Nuclear Regulatory Commission)の場合、電力会社や製造業者とは関係のない技術者たちが一定数いて、そこからスタッフを調達することができる。その中には、職業的訓練を海軍で受けた者や、ブルックヘブン[国立研究所]、オークリッジ[国立研究所]で受けた者もいる。


そのため、原子力規制委員会は提案や規程を作成する際、原子力業界自身に依存することがなくなっている。これに対して日本の場合、原子力安全・保安院は、包括的な規制を作成できるだけの技術的知識をもちあわせていない。そのため、必要な専門的知識を原子力業界の専門家に依存しがちになる。


原子力安全・保安院には電力会社を規制する法的権限がありますが、電力会社側の提案を公正に評価するだけの技術的能力が明らかに欠けているのです」と、アメリカと日本の原子力業界で30年近く働いた経験をもつ佐藤暁[サトシ]氏は語った。「もちろん、規制する側はわざわざ独自の見解を述べてまで危険をおかそうとはしないものですが。」


佐藤氏によれば、原子力安全・保安院の検査担当者も十分な訓練は受けていないため、検査はさほど厳しくない。電力会社の採算が合うように安全基準も手加減されている、と佐藤氏を含む数人は指摘する。


国会の支配層

原発産業における最大の受益者に属する政治支配層は、安全基準を高めることには大して関心を向けてこなかった。それどころか、批判者たちに言わせれば、監督を手加減することは政治家たち自身の利益にもかなうことであった。高額な改修は、新しい原子炉を作る上でハードルとなるが、原子炉が作られれば、受け入れ自治体には、建設計画、雇用、多額の補助金が転がり込むのだ。


1955年から2009年までほぼ切れ目なく日本で政権を握っていた自由民主党原子力関連企業の経営者層と親密な関係をたもっている。2009年に政権をとった民主党労働組合に支持されているが、日本の労働組合はどちらかといえば経営寄りだ。


自由民主党の政治家のなかでも改革派として知られる河野太郎氏は、「自民党民主党も電力会社に牛耳られていて、電力会社の言いなりなんです」と語った。


日本の選挙制度のもとでは、国会議員のうちかなりの割合が[比例代表の形で]間接的に選出されるが、政党は支援団体への見返りとして国会の議席をあてがうこともある。1998年、自由民主党東京電力の元副社長、加納時男氏に党の議席をあたえた。
【注】「加納前自民参院議員、東電に里帰り」(しんぶん赤旗 2011年5月4日付)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-05-04/2011050411_01_1.html
ウィキペディア「加納時男」http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%B4%8D%E6%99%82%E7%94%B7


日本経済界最大のロビー団体である経団連(その最大の所属企業のうちに東京電力も含まれている)を後ろ盾に、加納氏は参議院で6年の任期を2010年まで2期務めた。氏はその後、東電に顧問として復帰している。相互の権益で持ちつ持たれつの世界とはいえ、さすがに人々も眉を顰めた。


議員として在職している間、加納氏は原子力を中核にすえた日本のエネルギー政策見直しを唱え続けた。エネルギー政策にかかわる委員会などでは主導的地位を占めたが、こうした委員会を通じて、原子力業界がずっと求めていたような政策(たとえば高速増殖炉での混合酸化物燃料(いわゆるMOX燃料)の使用)を提言した。加納氏はまた電力業界に対する規制緩和の反対論者でもあった。


加納氏は1999年に国会でも、政府の検定済み教科書の原子力に関する記述が偏向していると批判した。国会会議録によれば、加納氏は「太陽エネルギーについてはいいことばかり書いてあり、原子力については悪いことばかり書いてある」と発言している。
【注】1999年4月7日の参議院決算委員会での発言。(議事録では「太陽等についてはいいところだけが書いてある。そして、原子力についてはネガティブなところだけが書いてある」となっている。国会会議録検索システム http://kokkai.ndl.go.jp/ で検索可能)
加納時男「エネルギー教育は各論が大事」(原子力発電四季報 第24号 2003年9月)http://www.fepc.or.jp/library/publication/teiki/shikihou/shikihou24/p3.html


何より重要なのは、2003年に加納氏の主導で、日本政府がエネルギー基本計画を採択したことである。同計画は、エネルギー自給率向上や日本の温室効果ガス排出量削減への方策として、原子力の拡大を求めるものであった。


加納氏の議員としての活動は、自民党内部からも批判をまねいた。「加納さんは電力会社に都合のよいようにすべてを書き換えてしまった」と河野[太郎]氏は述べる。


東京電力の広報担当者が同席して同社でおこなわれたインタビューのなかで、加納氏は、自分の議員活動が「確信」にしたがうものだったと述べた。電力会社や原子力業界の支持を受けたというだけの理由で、原子力村の使い走りとして国政をやってきたなどというのは失礼千万だ、と加納氏は述べる。


リヴァイアサンの取り込み

原子力村の基盤は揺るぎないもので、戦後日本最大の政治的変動ですら難なく切り抜けた。1年8カ月前[2009年8月末]に民主党が政権をとった際にも、原子力産業を改革し、原子力安全・保安院を強化することがうたわれた。


当時同省の大臣政務官を務めていた民主党議員、近藤洋介氏によると、安全・保安院の改革に関する公聴会経済産業省で2009年から始まった。だが、2010年9月、[菅第1次改造内閣のもとで]新しい経済産業大臣が任命されると、公聴会は頓挫したと近藤氏はいう。


このとき入閣した大畠章宏経産大臣は、日立製作所原子力設計部で技術者だったという経歴をもち、民主党内の原子力発電推進派でも最も影響力のある一人だ。大畠氏は、民主党への働きかけによって、原子力発電の公的な呼び方を「過渡的エネルギー」から「基軸エネルギー」に変更させた【注】。氏は2011年1月に[菅第2次改造内閣で]国土交通大臣に就任したが、側近によれば、インタビューには応じられないとのことだった。

【注】民主党の政策資料で原子力が「基幹エネルギー(main energy)」に類する表現で呼ばれているものは見当たらなかった。が、政府が2010年6月に策定した「基本エネルギー計画」には「基幹エネルギー」の表現が見られる(以前のバージョンにも「基幹電源」の表現あり)。同党の近年の政策集で原子力に関する記述がより積極的なものになっている点については、次の記事を参照。
民主の原子力政策 「慎重」から前向き(東京新聞 2011年4月5日付)http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2011040502100005.html


原子力の規制を強化しようという動きが後回しにされた時期、政府は、東電顧問で元議員の加納氏によって作られたエネルギー計画をあらためて持ち出してきた。そこには、2030年までに14基の原子力発電所を増設し、原子力とその他の代替エネルギーによる発電比率を34%から70%まで引き上げる計画など、新たな項目も盛り込まれていた。


さらに、エネルギー難の発展途上国に向けた長期的輸出戦略において、日本は原子炉と関連技術の受注をその中核にすえようとしていた。この目的のために、国際原子力開発株式会社という新しい企業が設立された。同社の株主は、日本の原子力発電主要9社と、原子炉製作企業3社、それに政府となっている。
【注】「『国際原子力開発株式会社』の設立登記のお知らせについて」(平成22年10月22日)http://www.jined.co.jp/pdf/101022-j.pdf


原子力村は、この新企業とともにグローバル展開を目ざしたのだ。政府の株式保有率は10%。東京電力は最大の20%で、同社の最高幹部の一人[武黒一郎氏]が、新会社の代表取締役に就任した。


(trad. SS)